生物がこの世に誕生したときを創世記とするならば、人類がこの地球に誕生したときからを一本の時間軸で見ると、私たちの人生は瞬きにもみたないものである。
この世に神が人類を生み出したのだとしたら、その生命の営みは先人から後人へ、それを繋げていく配列に必ず親子という遺伝子を受け継ぐルールができる。
時の流れの法則でいけば、親が先にこの世を去り、子がその生を受け継ぐものではあるが、自然の摂理にはこの配列を逆にするケースも多々ある。
自然界においては自然の摂理で説明がついてしまうが、人間界においてはそうはいかない。子に先立たれた親の苦悩は簡単に言い表せるものではない。
時には自分を責め、他人や周りを責め、自責、後悔の念に苛まれ、心の業として重くのしかかるものとなる。
自然界の摂理においては普通であっても、瞬間を生きている人間、ましては親が子を失うという経験はこの世に生を受けたうえでの最大の苦行とも言える。
何故にそのような理不尽なことが起こるのか?
私自身もその場に直面したら、当事者であっても、そうでなくても、どのように対応していいのか?そのように心の苦しみから救いあげることができるのか?せめて和らげることができるのか?それさえもわからない・・・
ただひとつだけ言えることは、先に天に召された子を想い、残された親はその子の分までしっかりと天命を全うする。
我が子を神様のもとに先に送り出すための意味を与えてくれているのである。
神様はいつも傍にいる。我が子もいつも傍にいる。
そして多くの人が、多くの自然が、その人を見守っている。
宇宙の真理に委ねて、自分自身が生かされている本当の意味を考える。
そしてその答えは必ず見つかる。
その子のためにも見つけないといけない。
2013年07月27日
受け継ぐということ
posted by core at 06:00
| Comment(0)
| メッセージ
この記事へのコメント
コメントを書く


