8年前、突然の大病罹患宣告にて『青天の霹靂』を味わった。
発見後の翌日から出口が見えない世界へ・・・
緊急入院、緊急手術、いつ退院できるかも全くわからない日々・・・
入院の日の朝、当時2歳の長女、生後1ヶ月の長男は健やかな寝顔だった。
3月なのにまるで真夏のように目に突き刺すような日差しは、とても午前7時前とは思えなかった。
萌え出るような桜を恨めしく感じた記憶がうっすらとあるだけ・・・
人間の記憶、そして感情の起伏さえも時とともに薄らいでいくもの・・・
しかし、神様はその記憶、感情を鮮明に蘇らせてくれる”しかけ”をされている。
定期的なモニタリング、日帰り入院とはいえ、もしもの場合の通常入院に切り替わる準備をして病院に向かう朝、小学校5年生になった長女、小学校3年生になった長男、そして子供の朝食の準備をしている妻にいつも通りの笑顔で家から送りだされる。
それから、12時間後、いつも通りの帰宅、いつも通りの家族との食事、いつものように会話を楽しみ、定刻になり子供たちといっしょに床に就く。
その日がいつも通りに終えられることに心から感謝して、翌日、普通に早朝より家を出る。
いつもの生活を迎えられることに感謝する。
有ることが難し、有難い。
*寛解の意味
東洋医学用語でいわゆる一病息災である。持病はあるが完治しておらず、その病気と共存しながら生活している状態を指す。語句の直接な意味としては、ゆるやかに意味を解き明かしていくという意味がある。
2013年05月11日
寛解〜日常の有難さを感じるとき
posted by core at 06:00
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