2013年、改めて今年は野球というスポーツが脚光を浴びている。
WBC、”二刀流”大谷の鮮烈デビュー、長嶋氏と松井氏の国民栄誉賞同時受賞、そして先日の春の高校選抜での安楽投手の772球のドラマ。
”二刀流”大谷、そして今回の斉美高校の安楽投手の772球、そこで交わされる物議の本質は同じことだと思う。
美談、興業重視、選手育成、教育、様々な角度から検証されているということはそれだけ注目度も高いということであり、ここ数年は一選手から波及して価値観、教育観も含めた倫理的、感情的な論議に強く発展することがなかったということを鑑みると、興業重視の観点ではなくシンプルに私たちの心に感動、刺激を与えてくれたということではないだろうか?
スポーツライターの乙武氏のブログにダルビッシュ有投手も反応し、専門家や現役メジャーリーガーの価値観を知ることができるということでも意味のあることではあるが、問題視のポイントが大谷選手や安楽投手に絞ると身体的な側面からの将来性、その後に続く”球児”たちのフィジカル的な観点に絞られ過ぎていると私は思うが・・・
美談的な表現にはなるが、この瞬間で燃え尽きてもいいとその場に臨んでいる選手も必ずいるはずだ。そのときの無理が後に後悔になることがあったとしても、その人が自分で望んだ選択ならば人生経験としては無駄ではなくむしろ有意義な、そして何物にも代えがたい貴重な経験になるはずだ。
ここでもし問題にするならば、”二刀流”や”連投”を本人が望んでいないのに指導者等が強要もしくはお願いしてしたかだけではないか?
議論は大切である。
人々の価値観がテーブルに上がり、様々な角度から検証されることによってよりいい方向性に導かれるようになる。
しかし、今回の問題はそのテーブルが小さい気がする。
従来より湧きだした物議のベースに米メディアからのフィジカル面からの価値観が乗っかったことによる特定のバイアスがかけられた結果が現況だと思う。
社会情勢、経済状況、外交も含めた日米国家間の歴史的な背景が大きく反映されていることが垣間見える。
772球の感動は私たちの心に刻まれる、安楽投手の今後の人生にとって意義ある772球であることを第三者の私としては心より祈念する。
2013年04月05日
772球の意味
posted by core at 06:00
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