朝、目が覚める。昨日と同じ一日がはじまる。天候、気温、周りの環境が全く同じことなんてないのだからはじまる一日は毎日が新しい・・・
何も考えずに当たり前のように日常生活を送っている。
誰でも様々な問題を抱えて、そのことにどのように向き合うかを潜在的にも顕在的にも意識しながら淡々と、時には激しい感情の波にのまれながら過ごしているのではなかろうか?
7年半前に大病を患ったときは、生きることこそが自分自身のアイデンティティであり前を向くしかなかった。悲観的な想像に苛まれることも多々あったが、その都度その念を振り払って前を向いて進んできた。
生きていることに毎日、感謝しながら家族にそして周りの人々に支えられて苦しいながらも、つらいながらも有意義な毎日を過ごせていたと強く感じる。
今はどうだ?
この時の想いから根幹は何も変わっていない。日常の中に浸る自分自身を支えてくれるこの瞬間に感謝でいっぱいである。
しかし・・・
生きている意味をあらためて問う・・・
この世に生を受け、その命の危機を心から味わった。恐怖と真剣に向き合った。そして今は、そのときのことを忘れているわけでは決してないのだが・・・
今、あらためて自分自身が生きている意味を問う・・・繰り返し繰り返し問う・・・
なんて贅沢な身分なのだろう・・・
毎日、普通の日常を迎えられる。生きれないかもしれないという恐怖とも向き合ったのに・・・何の不安に苛まれているのだろうか・・・
今一度、生きている意味を繰り返し繰り返し問い続ける・・・直ぐに答えは出ないだろう・・・
*寛解の意味
東洋医学用語でいわゆる一病息災である。持病はあるが完治しておらず、その病気と共存しながら生活している状態を指す。語句の直接な意味としては、ゆるやかに意味を解き明かしていくという意味がある。
2012年10月15日
寛解〜生きている意味
posted by core at 05:16
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| 寛解
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