お盆になりました。私の実家はいわゆる“本家”なので(もっとも普通のサラリーマンの家庭ですから父が長男というだけですが・・・)この季節は実家に集まり(といっても弟夫婦は東京在住なので、実家の両親と私の家族だけです・・・)迎え火を行います。
玄関先で迎え火を行いますが、ずっと以前はお隣も、お向かいもされていました。ここ数年は私の実家だけしかしていません。
ご先祖様を迎えるにあたって、私の祖父は職業軍人だったので満州で戦死しています。父の兄、つまり私の叔父も3歳の時に同じく満州にて疫病で亡くなっています。父は、20年前に亡くなった祖母と、叔母と満州より引き揚げてきました。母は戦時中生活していた箱崎で福岡大空襲を経験しています。
私の子供は長女(9歳)、長男(6歳)ですが、小学校で平和授業というものがあっています。これは私が子供のときと同じなのですが、ひとつだけ決定的に違うことがあります。
私の子供のときは、学校の先生に戦争の経験者が必ずいらっしゃいました。
今は、先生方もどなたも戦争を経験していないのです。
私も含めて戦争を知らない世代の方がはるかに多くなっているのです。
日本が平和であることの象徴なのでこれ自体は有難いことなのですが、いまだに世界の至る所で紛争が起こっております。
2011年3月11日に東日本を襲った大震災の直後も、停電中の店舗に整然と行列を作って暴動も起きずに冷静にふるまっていた人々が世界中から絶賛されました。
しかしながら、この現象は前述のように戦争を知らず、平和で治安がいい国家で生活している日本人の生に対する無頓着さを象徴しているとも取れます。災害時、戦乱時に暴動が起きるのは食糧、身の回り品が無くなることを身にしみて経験している人々が、“生きるため”の自己防衛本能で起こしている行動とも言えるのです。
もし、自分の周りで大災害が起こったら、戦争が起こったらこの子たちは、いや私たちは生に執着してこのような激しい行動を起こすことができるのか?
そのようなことを考えながらも、戦争とは何ぞやを子供たちに伝えるのですが、私自身も客観的言葉や、史実からしか伝えることができません。私の両親は戦争を経験しているので子供たちに話をしているとき子供たちの聞く姿勢が心なしか違うような気がします。
体験にまさるものはないのです・・・
平和学習のあり方として、この国で実際に起こったことを伝えることは非常に大切ではありますが、戦争の悲惨さを伝えるという観点からは、今、世界中の至るところで起きている紛争から、いつまた自分たちにも起こるかもしれない。そして、今、平和で暮らしているけれども世界の別の場所では同じ時に戦争で苦しんでいる人たちがたくさんいる。だからこそ、今の平和にもっと感謝しよう。
このような平和学習であってもいいと思います。
2011年08月14日
子供たちに戦争を伝えること
posted by core at 09:01
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| 経営承継(COREな帝王学)
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