「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉がある。私自身が日々の生活の中でこの言葉を実感し続けている。
6年前に大病を罹患したが、その後のパラダイムシフト(認識転換)により生活習慣の大幅な改善も含めて今は元気に過ごさせてもらっている。
現在のような状態になることができたのは、罹患当時(35歳)に私の両親、父61歳、母60歳で伴に働いていたということもある。当時、特に大きな持病もなく元気だった両親のおかげで3歳と0歳の子供がいたが、同居することにより自分自身の治療に専念することができた。
しかしこの6年の間、私自身の健康が回復するに従って当然だが、両親は年を取っていく。
現在、父67歳、母66歳である。
そして今は、元気ではあるが体力の衰えは否めず、それぞれが当時はなかったが持病をもつようになった。
今度は自分自身の健康という形ではなく年老いていく両親がいるということが、
・老親の介護
・認知症
・介護施設
・老人ホーム
・相続
現実的なものとしてこのようなことを考えなくてはならない時期になってきている。
今、両親が元気だからこそ、話合わなくてはならない問題でもある。
突然、前述のようになったでは道筋を決めることもままならない。
他人事ではない。
両親にはいつまでも健在でいてほしいが不老不死ではないため、そのようなことはありえない・・・
このような本を読んでみた。
だからこそこの稿を綴ってみた・・・
そう、対岸の火事ではないのである。
*寛解の意味
東洋医学用語でいわゆる一病息災である。持病はあるが完治しておらず、その病気と共存しながら生活している状態を指す。語句の直接な意味としては、ゆるやかに意味を解き明かしていくという意味がある。
2011年05月27日
寛解〜親が元気なうちに
posted by core at 06:00
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| 寛解
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