遠い太古の世界から、宇宙(そら)は私たちの母なる星である地球を育んできました。その想像を絶する時空の中からすると我々が生活している時間は塵で例えることもできないほどの瞬時の幻想のようなものです。
そのような天体における時間の中では、瞬きにも満たないものであっても、私たちは生を受けた限り一生懸命にその“天命”を全うするのです。
人類の歴史の中で、1960年以降の宇宙開拓の技術競争が本格化したことにより、宇宙(そら)から地球を見ることを体験した人たちが次々に出てきます。
重力から開放されたこの方たちは、第6感とも言うべきか?新しい感覚を授かったのか、覚醒したのか、私たちとは全く異質の能力を持って帰還した方たちもたくさんいるようです。
宇宙(そら)から地球を見てみるという、私にとっては非現実的なイマジネーションを持って空を見上げてみます。
この母なる星に立っている自分自身と、宇宙(そら)にいる自分自身の目が合ったとしたらそこには鏡を見ている感覚とは全く違うものがあるでしょう。
感性が何かに感応しています。
宇宙(そら)から、この母なる星に起こっていることはどのように見えるのでしょうか?
見える?
誰が見ているのか?
神様でしょうか?
宇宙(そら)から地球をじっと見つめています・・・
2011年03月25日
宇宙(そら)から地球を見てみると
posted by core at 06:00
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| 宇宙世紀列伝



現在、起きていることに対して自分自身が真摯な気持ちで向き合っていると、
”生”、”感性”、”宇宙”、”時空”、等とどんどん哲学的な思想へのエネルギーが湧いてくるのです。
本日の稿は、そのような自分自身の感性のまま綴ったため、サイエンスティック、宗教的な内容に結果的になってしまいました。
タイトル、カテゴリは実は後付けです・・・
私も貴重な機会を得られそうです。
本来、宗教とは人類創生についてを科学的根拠に基づいて説明できなかった時代に、神・仏などの超越的なものから創生して、その営みを教えるために生まれたものと言われています。
教典、経典、学問的なものより、シンプルに精神性のものだと思います。
坐禅も根本はいっしょですよね。
宗教の違いは文化、価値観の違いでありますが、今や国境も、文化も、価値観も越えて同じ宗教を世界中のあらゆる場所で信仰されています。
そう思えば現在いわれている世界のフラット化は思想に関して言えば大航海時代から進んでいたともいえるのでしょうね。