2005年2月17日、待望の長男が誕生しました。私が生まれ育った岡部家は父が長男、祖父も長男だったので昔風に言うならば特に名家というわけでもありませんが本家なのです。
私自身も長男なので、我が家の長男はいわゆる本家を継ぐ者ということになります。
私はそのように難しくは考えてはおりませんが、ご先祖様を守っていくということはしっかりと使命としては思っております。第一子目は女の子でした。それは目に入れても痛くない(今も変わりませんが)程のかわいさです。愛娘です。
しかしながら、いずれこの岡部家を継ぎご先祖様を守っていくという訳にはいかないでしょう。いずれは他家に嫁として嫁いでいくことになるでしょう。親として当然寂しいですが、それが娘の幸せとしてそのようになることを望んでいます。
長男の誕生は、そのような長男の嫁となった妻も自分自身が姉妹で育ち、二人とも嫁に行っている訳ですから、いずれ自分の実家の家を継ぐ者がいないことをわかっていますので、
「男の子で正直ほっとしたわ・・・」
長男が無事に産まれてきたときにしみじみと言っていたことを今でも鮮明に思い出します。
2005年3月17日、長男誕生の1ヶ月後に衝撃が走ります。私の大腸癌の罹患が判明、病状も悪く、2度に渡る手術を受け明日さえもわからないような状況に陥ってしまいました。
私自身も家族のためにも“生きる”という意志を強くもとうと思ってはいましたが、正直先のことはわからない、ある種の覚悟をしていました。きっとそれは妻も両親も同じことだったと思います。
2ヶ月半に亘る入院生活から解放され自宅療養に変わった後も、失われた体力の回復には抗癌剤治療もありましたので1年以上を有しました。開腹手術を2度もしていたこともあり、生まれたての長男を抱きかかえて上げることは医師から禁止されていました。
長男を膝の上に抱えながら、
「この子の成人まで生きていられるだろうか?」
なんてことを考えていたりしたことも多々ありました。
そのとき、私は妻や他の家族を心配させてはいけないので、皆の眼を盗んで言葉もしゃべれない生後6ヶ月にも満たない頃から長男とある約束をしていたのです。
「たいくん。パパはね、たいくんが大人になるときまで生きていられないかもしれない。だから、たいくんは男だからパパがいなくなったら、ママとひなちゃんのことをしっかりと守ってあげてね」
それは切なくも、切実な、私の思いでした。
いつもそのように語りかけて長男とそのような“約束”を定期的に交わしていたのです。
5年の時が過ぎ、私自身、心身ともに健康を回復することができました。
このときの約束など長男が覚えているはずも、理解していたはずもないのですが・・・
私が仕事で心身ともに神経をすり減らし疲弊している時に限って、必ずと言っていいほど長男は私の側にやってきてこのように言うのです。
「パパ、僕たちのために一生懸命仕事してくれてありがとう。いつも元気でいてくれてありがとう。僕はパパがいると安心だよ。」
その言葉は5年前に家族を頼むねと明日をもわからない私が長男と交わした約束を覚えているとしか思えない言葉なのです。
「パパが元気でいてくれるから、僕はみんなをパパの代わりに守ってあげなくてもパパがみんなを守っていてくれているね。パパ元気でありがとう。」
私にはそのように聞こえるのです。
長男は5歳、今はやんちゃな盛りで妻をいつも困らせていますが、私の不在時には逆に妻や長女をチビながらにもしっかりと気遣い、そういう時は非常に凛々しいそうです。私がいるときが一番、甘えん坊で子供らしいそうです。
妻曰く、私が心身ともに疲れているときに私のことを心配して妻が私を無理しすぎないようにという意味も含めて私を叱るときがあります。
でもそのような時は、必ずそれを見ていた長男は後で妻に
「パパはお仕事で一生懸命やっていて疲れているんだからパパを叱っちゃだめだ!!!」
それはまるでたしなめるかのように妻を叱るそうです。
たいくん、ありがとう。
パパはたいくんにとって辛い約束をしていたね。今は元気に頑張っているから心配しないでしっかり子供してくださいね。
バトンを渡す必要がなくて良かったです。渡しかけたバトンはしっかりと私に戻ってきました。まだしばらく私がこの命のバトンをしっかりと握って走って参ります!!!
2010年04月24日
告白.長男との約束〜命のリレー
posted by core at 06:00
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